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ルネサンス15-16世紀

15世紀〜16世紀頃 ルネサンス絵画:ルネサンス期

ルネサンス(Renaissance)とはフランス語で、意味は「再生」または「復興」です。 
ヨーロッパで起こった古典文化復興の運動のことを示し、この時期を広くルネサンスと言っています。
この期においての絵画は、幅広くは初期と盛期、さらに北方ルネサンスなどの地域、そして様式や画風で分類されます。
近代絵画はルネサンス期から始まると言う歴史家が多い中で、レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロが三大スターと言われ、盛期ルネサンス期に最も活躍していた画家達と賞讃されています。
絵画のみならず、建築、彫刻など数多の芸術に影響を与えた史上最も重要な芸術様式と言われ、ローマ、ヴェネツィアなどヨーロッパ各地域で独自の様式が成立しました。人体の構造(科学)の学問が重要視されはじめてきた時代でもあります。

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ヴィーナスの誕生
ヴィーナスの誕生
サンドロ・ボッティチェリ Sandro Botticelli (1444〜1510)
フィレンツエ生まれのルネサンスを代表する画家で、名門メディチ家の後援を得て、ダンテの「神曲」の挿絵版画やシスティーナ礼拝堂の壁画を描きました。 彼はその後イタリアではほとんど忘れられていましたが、近年になって評価が高まり、現在では15世紀後半のイタリアを代表する大画家とされています。

代表的な絵画 >>ヴィーナスの誕生、プリマベーラ
メランコリア
メランコリア
アルブレヒト・デューラー Albrecht Durer (1471-1528)
ドイツ絵画史の中で最も賞讃された画家と言えます。ドイツ・ルネサンスの最高峰、後にイタリア・ルネサンスに多大な影響を受けたと言われています。

代表的な絵画 >>メランコリア、尾長猿を伴った聖母マリア
モナ・リザ
モナ・リザ
レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci (1452-1519)
レオナルド・ダ・ヴィンチは、黄金比1.618をはじめて実証した事でも有名です。絵画の他にも彫刻家・建築家・音楽家として超一流の腕をもち、築城・土木・造兵術・解剖学・生物学に通じた科学者としても多くの実績を残しました。 深い知識の中で生まれた斬新な手法や人間の体を解剖学的に知り尽くした完璧な構図による作品で、他のすべての芸術を圧倒しています。

代表的な絵画 >>モナ・リザ、最後の晩餐、若い女の頭部
アダムの創造
アダムの創造
ミケランジェロ・ブオナローティ Michelangelo Buonarroti (1475-1564)
肉体を手段として人間の内面を表現した画家です。 システィーナ礼拝堂の天上画と祭壇壁画が代表作ですが、当初は自分は彫刻家であって画家ではないと断ったそうです。

代表的な絵画 >>アダムの創造、最後の審判
美しき女庭師の聖母
美しき女庭師の聖母
ラファエロ・サンツィオ Raffaello Sanzio (1483-1520)
37年という短い生涯でありながら、繊細で美しい数々の聖母子像などを描いたラファエロは、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並ぶルネサンスの三大スターの一人です。 典型的なルネサンスの画家ともいわれ、19世紀までの長い間、西欧の絵画の美の基準と崇められていました。

代表的な絵画 >>美しき女庭師の聖母、アテネの学堂
受胎告知
受胎告知
エル・グレコ El Greco (1541-1614)
エル・グレゴはギリシヤ人を意味します。 ヴェネツィア派に学び、ローマを経てスペインのトレドに渡りました。長く引き伸ばされた人物像は極度に様式化され、それが燃えるような神秘的空間に配されています。

代表的な絵画 >>受胎告知、羊飼いの礼拝
パリスの審判
パリスの審判
ピーテル・パウル・ルーベンス  Peter Paul Rubens (1577-1640)
若くしてイタリアのマントヴァで宮廷肖像画家となったルーベンスは、ミケランジェロに深い感銘を受け、人物の「肉感」「重量感」の表現に心を砕きます。 動きの多い劇的な構図、人物の激しい身振り、華麗な色彩、女神像などにみられる豊満な裸体表現など革新的な表現が特徴です。

代表的な絵画 >>パリスの審判
ジプシーの女
ジプシーの女
フランス・ハルス Frans Hals(1582-1666)
レンブラント、フェルメールとならぶオランダ17世紀の巨匠フランス・ハルス。 簡略でありながら、モデルの人間性までを深くとらえた表現で、ゴッホやマネなど後世の画家たちに大きな影響を与えます。

代表的な絵画 >>ジプシーの女

バロック17世紀

17世紀頃 バロック絵画:バロック期

バロック(baroque)とはフランス語で、語源はポルトガル語の「歪んだ真珠」という意味です。 
ルネサンス後のヨーロッパ各地で流行した美術様式ですが、ルネサンス期に支持された絵画様式におされ、バロック絵画はなかなか支持されるのに時間がかかりました。 それぞれの地域で様式が違うバロック絵画のみならずバロック美術は、時代がだいぶ後になってからその様式が見直され、支持されるようになったそうです。
地域は、ルネサンスの中心地イタリアから、フランスへと移ります。

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解剖学講義
トゥルプ博士の解剖学講義
レンブラント・ファン・レイン Rembrandt Harmensz, van Rijn(1606-1669)

天才的な芸術家でありながら、あらゆる時代の人々に一人の孤独な人間としての共感を与えます。
外見の美しさや、単なる性格の描写ではなく、人間の深い内面、人間の心を描こうとした画家です。

代表的な絵画 >>トゥルプ博士の解剖学講義、箒を持つ少女、天使のいる聖家族、スザンナの水浴

ハーレムの遠望
ハーレム遠望
ヤコプ・ファン・ロイスダール Jacob van Ruisdael (1625-1682)
バロック時代を代表する芸術家の一人。ハーレム出身の風景画家でオランダ最大の風景画家です。
伯父のサロモン・ファン・ロイスダールからも学び、やがて、情感漂う画面を完成させます。

代表的な絵画 >>ハーレム遠望、ベントハイム城の見える風景、人物のいる風景
デフルトの眺望
青いターバンの少女
ヨハネス・フェルメール Johannes Vermeer (1632-1675)
フェルメールの生涯は謎に包まれています。当時オランダで流行した室内画で、入念な構成、青と黄を主調とする調和的な色彩などにおいて卓抜した手腕を示しました。
その青の美しさは「フェルメール・ブルー」と称されています。
19世紀に専門家によって見直されるまで、歴史の塵の中に埋もれていたフェルメールですが、今日ではオランダを代表する絵画の大家として称されています。
真贋に疑問の残るものも含め、彼の作品は全部で35点前後しかありません。

代表的な絵画 >>青いターバンの少女、小路、牛乳を注ぐ女

ロココ 18世紀

18世紀頃 ロココ、新古典主義、ロマン主義

ロココ(Rococo)とは、ルイ15世の時代にヨーロッパで流行した貴族的な印象が強い美術様式のことを言います。 美術品が広く鑑賞されるようになった時代でもあります。
よく耳にする「ロココ調」という言葉の意味は、この時代に製作された芸術品のことや、この時代の様式を真似た芸術品のことを言います。(現代においても、「ロココ調の家具」など多様されているようです。)

新古典主義とロマン主義は、動向真っ只中の革命(フランス革命と産業革命)期に絵画の二大勢力として広まっていきました。時代は、ロココ後期のことです。

日本は平穏な江戸時代で、美術界では浮世絵が出回り葛飾北斎らが活躍していました。

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シテール島での愛の巡礼
シテール島での愛の巡礼
アントワーヌ・ヴァトー Antoine Watteau (1684-1721)
ジロを師とし、その作風を受け継ぎながらも、ロココ最大の画家です。 彼の絵は優雅な中にも哀愁があり、まだ17世紀風でもあります。
ヴァドーは夭折の画家で、37歳で肺病のため亡くなっています。

代表的な絵画 >>シテール島の巡礼、頭部習作
マダム・ド・ポンパドール
マダム・ポンパドール
フランソワ・ブーシェ François Boucher (1703-1770)
デカダンス時代と共に生きた作家で、タペストリーや陶磁器のデザインでも活躍します。
当時の宮廷で絶大な影響力を持つポンパドゥール夫人の愛顧を得ていました。

代表的な絵画 >>マダム・ポンパドール、幸福な釣人、狩りから帰るディアナ、娘と笛を吹く男
キューピット
キューピット
ジャン・オノレ・フラゴナール Jean Honoré Fragonard (1732-1806)
ブーシェの愛弟子でもあり、ロココ美術の正統的伝承者です。
ロココ美術の色彩と魅力的な曲線を特徴とした装飾的な絵画様式を体現している画家といえるでしょう。

代表的な絵画 >>音楽の稽古、プシュケ、鳩を抱く少女、はしゃぎまわるキューピット
裸のマハ
裸のマハ
フランシスコ・デ・ゴヤ Francisco de Goya (1746-1828)
社会的地位に野心のあったゴヤは宮廷画家となりますが、病気で聴力を失ってから、理性を超えた人間の本能的、感情的な力をストレートに表現しました。
ベラスケスとレンブラントと自然を師としたゴヤは亡命先のボルドーで生涯を終えました。

代表的な絵画 >>裸のマハ、着衣のマハ、猟犬と狩猟具
ナポレオンの戴冠式
ナポレオンの戴冠式
ジャック=ルイ・ダヴィッド Jacques-Louis David (1748-1825)
フランス新古典主義の巨匠にして皇帝ナポレオンの主席画家のダヴィッド。
フランス革命の中、ロベスピエールの失脚後、捕らえられて、リュクサンブール宮へ幽閉されます。その後、ナポレオン帝政に参加し、その記念碑的な作品を多く残しました。
しかし、ナポレオン失脚と同時に、ブリュッセルに亡命し、不遇のうちに亡くなるのです。
現在の出来事を芸術的な作品に仕上げることはダヴィッドが成し遂げたことで、絵画の近代化に貢献した一人といえるでしょう。

代表的な絵画 >>ナポレオンの戴冠式、レカミエ夫人
マダム・レカミエ
マダム・レカミエ
フランソワ・ジェラール Francois Gerard (1770-1837)
ローマ生まれで、はじめは歴史や神話画を描いていました。
しかし、当時は「アモールとプシュケー」の評判が悪く、肖像画家へ転向し、代表作である「マダム・レカミエ」を制作します。

代表的な絵画 >>マダム・レカミエ
エイローの戦闘
エイローの戦闘
アントワーヌ=ジャン・グロ Antoine-Jean Gros (1771-1835)
ダヴィッドに師事。イタリアに留学中にジョゼフィーヌ妃を通じてナポレオンの知遇を得ます。
作品にはナポレオンの武勇伝を描いた大作が多く、ダヴィッドの古典主義の後継者と目されました。一方、ロマン派的傾向も濃く示しています。

代表的な絵画 >>エイローの戦闘
マルヴァーン・ホールの正面入口
マルヴァーン・ホール
ジョン・コンスタブル John Constable (1776-1837)
19世紀イギリスを代表する風景画家として知られるコンスタブルは、生涯、故郷サフォーク周辺の身近な風景を描き続けます。
野外での制作や刻々と変化する光の姿を捉えること、画面上に異なる色価の筆触を並べる手法など、その制作態度や技法は、後の印象派に大きな影響を与えました。

代表的な絵画 >>マルヴァーン・ホール、ソールズベリー大聖堂、水門を通る船
トルコ風呂
トルコ風呂
ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル Jean Auguste Dominique Ingres (1780-1867)
フランス南西部モントーバン生まれ。1824年、44歳で初めてフランスで成功し、その後美術アカデミーの会員となります。1829年には国立学校の教授となり、たちまちフランス画壇の中心となります。
後に古典主義絵画最後の巨匠と呼ばれますが、アングルは女性の背中やなめらかな肌、優雅な腰の曲線に魅せられ、その美しさを描くにはどうすればいいか、生涯考え続けた男なのです。

代表的な絵画 >>トルコ風呂、浴婦、グランド・オダリスク、泉
メデュース号の筏
メデュース号の筏
テオドール・ジェリコー Théodore Géricault (1791-1824)
ミケランジェロの彫刻や壁画に傾倒し、躍動する人馬を数多く描きました。
当時政治問題にもなった軍艦メデュース号の遭難をテーマに描いたこの作品で、当時に主流派であるダヴィッドらの「古典主義」に挑戦。大きな反響を呼びます。

代表的な絵画 >>メデュース号の筏

印象派19世紀

19世紀頃 写実主義・印象派

この時代、美術界では確固たる様式から独自性や特徴性を強くもつ芸術家達がグループをつくり、印象派(印象主義とも言います)やラファエル派といった派閥を形成していきます。
中でも、印象派は、その現実的でリアルな描画が多くの画家達の賛同を得、また、それに影響を受けた画家達がそれぞれの印象派的描画を描いていきます。
写実主義という確固たる主張で多くの人々に認められ、今の時代でもその人気は衰えることはありません。
印象派は、19世紀から現代に至まで、脈々と続くすばらしい芸術と言えるでしょう。

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ヴィルダブレーのカバスユ邸
クーブロンの思いで
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー Jean-Baptiste Camille Corot (1796-1875)
風景を外光の中で捉える点で印象派の先駆的役割をはたし、バルビゾン派にも影響を与えます。
ヴィル・ダヴレーをこよなく愛し、多くの風景画を描きました。

代表的な絵画 >>マント大聖堂遠望、ヴィル・ダヴレー、モルトフォンテーヌの想い出、井戸端の女、クーブロンの思いで、ヴィル・ダヴレー風景、マントの橋、青い服の婦人、マルセーユの教会、マンドリンを弾くジプシー女
民衆を導く自由の女神
民衆を導く自由の女神
フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ Ferdinand Victor Eugène Delacroix (1798-1863)
生涯を絵だけに捧げ、「フランスの全ての画家は、彼の偉大なるパレットを通して描いている」とセザンヌに賞賛されたその豊かな色彩は、現在でもなお、美術史上に色褪せることはありません。
「まだ私には400年先までの仕事が残っている」 それが彼の口癖でした。

代表的な絵画 >>民衆を導く自由の女神、シオの虐殺、サルダナパルの死
落穂拾い
落穂拾い
ジャン=フランソワ・ミレー Jean-François Millet (1814-1875)
産業革命が進む19世紀フランスでは、人々が都会を目指す一方で、農村に住んで自然を描く画家達がいました。彼らがすんだのがパリ郊外の「バルビゾン」。
特にミレーは風景画に加え、大地を耕し生活する貧しくも純朴な人々を描きました。
そしてそれらの現実的な絵画を、急速に都市化が進み豊かさを増していくパリで発表し、都会の人々に衝撃を与えました。

代表的な絵画 >>落穂拾い、晩鐘、羊飼いの少女、ガチョウ番の少女、春、眠った子の傍らで編物をする女、種をまく人、夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い、ヴォージュ山中の牧場風景、ダフニスとクロエ、ポーリーヌ・オノの肖像、馬鈴薯の収穫、冬、落穂拾い(夏)
まどろみ
まどろみ
ギュスターヴ・クールベ Gustave Courbet (1819-1877)
フランスを代表する写実主義の巨匠、ギュスターブ・クールベは、人物、鹿、自然などの題材を心の目で捉え表現しています。
社会主義思想に共感を抱いて、労働者や農民を多く描きました。

代表的な絵画 >>まどろみ、流れに憩う鹿、画室、フラジェの樫の木
船出
船出
フェリックス・ジーム Felix Zeim (1821-1911)
ヨーロッパ各地はもちろん、アフリカ、インドまで旅をして、異国的な風景と旅の足であった帆船を、華麗な色彩と情調で描きました。ヴェネチアの風景数百点も、高い人気を博しました。

代表的な絵画 >>船出
海辺の娘達
海辺の娘達
ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ Pierre Puvis de Chavannes (1824-1898)
イタリアでフレスコ画にふれ、古典主義的な構図を油彩で表現しようと、ギリシャ的な静けさやモニュメンタルな効果をもつ作風を確立しました。
抑えた色調と調和のとれた線で構成された壁画のような効果は、「象徴主義」の画家達に多くの影響を与えました。

代表的な絵画 >>海辺の娘達
ポントワーズ・ライ麦畑とマチュランの丘
ポントワーズ・ライ麦畑とマチュランの丘
ジャコブ・カミーユ・ピサロ Jacob Camille Pissarro (1830-1903)
西インド諸島の生まれ。パリでコローに心酔し、写実的な絵を描きました。その後、モネの影響で印象派となります。

代表的な絵画 >>オスニーの水飲み場近くの風景、テアトル・フランセ広場、雨の効果、ポン・ロワイヤルとルーブル宮、赤い屋根、井戸端の女と子供、ブージヴァールのセーヌ河、ポントワーズ・ライ麦畑とマチュランの丘、ルーアンの古い市場
笛を吹く少年
笛を吹く少年
エドゥアール・マネ Édouard Manet (1832-1883)
フランス人画家で、写実主義から、印象派への道付けをし、「印象派の生みの親」とも「近代絵画の父」とも呼ばれています。
パリの日常的な市民生活を主題にし、明るい色調、広く単純な色面の利用、画面全体に及ぶ生き生きとした筆致で描かれた革新的な画風は、後に印象派に発展するモネ、ルノワールらに大きな影響を与えました。

代表的な絵画 >>台の上のしゃくやくの花、草上の食事、オランピア、笛を吹く少年、バルコニー
舞台の踊り子
舞台の踊り子
エドガー・ドガ Edgar Degas (1834-1917)
「踊り子の画家」とも称されるドガ。 ドガは同世代の画家達の中でも、デッサン力にひときわ優れており、一瞬の動きを捉えた、躍動感あふれる作品が多くあります。

代表的な絵画 >>ドビニ嬢、エレン・アンドレ、舞台の踊り子、靴下をなおす踊り子、バランスをとる踊り子、楽屋の踊り子達、バレエ舞台の一隅、ダンスの稽古、レース
ダリア
ダリア
アンリ・ファンタン=ラトゥール Henri Fantin-Latour (1836-1904)
美しい花の絵をロマン主義の流れを汲む独特のタッチで描き、「薔薇の花を描かせたら右にでる者はない」とたたえられました。
現在も世界中で愛されているオールド・ローズの「ファンタン・ラトゥール」は、彼の名にちなんでつけられました。

代表的な絵画 >>ダリア、ばら
グランド・ジャット島
グランド・ジャット島
アルフレッド・シスレー Alfred Sisley (1839-1899)
印象派の巨匠アルフレッド・シスレーは、終生フランスの風景を描き続けた最も印象派らしい画家です。
その豊かな感受性と詩情を持ち合わせていたにもかかわらず、生前に成功を知ることはできませんでした。
“空のシスレー”と言われたように、明るくのびのびと広がる透き通った空や雲、運河や川の澄んだ水、などが美しい作品を残しています。

代表的な絵画 >>グランド・ジャット島、テームズ河とチャリング・クロス橋、ポール・マルリーの洪水、セーブルへの道の眺め、ルーヴェルシェンヌの雪、ルーヴェルシェンヌのアトリエ、ロワン川沿いの町・モレ、ロワンの運河、
りんごとオレンジ
りんごとオレンジ
ポール・セザンヌ  Paul Cézanne (1839-1906)
ピカソが「私の唯一の師」と讃えるなど、多くの画家に多大な影響を与えたセザンヌですが、生前は一部の者にしか認められない不遇の時代が続きました。
彼は静物画に力を注ぎ、西洋近代美術史において新しい静物画を切り拓いた画家として評価されています。
画壇での地位が確立したのは死の直前の数年のことでした。

代表的な絵画 >>カルタ遊びをする人々、玉ねぎのある静物、ティーポットのある静物、りんごとオレンジ、エスタックの岩、青い花瓶
花束
花束
オディロン・ルドン Odilon Redon (1840-1916)
フランス象徴主義を代表する画家。 初期から長年にわたり画壇の流行に背を向け、木炭の素描や版画による黒と白の世界に怪奇・幻想的な作風を展開していきました。
1890年頃からは、油彩やパステルなどによる鮮やかな色彩が用いられ幻想世界に華やかな輝きが加わっていきました。

代表的な絵画 >>花、花束、花瓶の花
睡蓮・緑のハーモニー
睡蓮・緑のハーモニー
クロード・モネ Claude Monet (1840-1926)
古典的な絵の教育を受けることがなかったモネは、当時すばらしいとされた古典的人物画を描くのではなく、刻一刻と変わる風景を捉えた作品を描き続け、34歳のときに「印象・日の出」を描き上げます。
モネは、自然光が映し出す一瞬の光景を表現することを追及していきます。ある日、列車の窓からみたジヴェルニーの景色の美しさに心奪われ移り住み、自然が織りなす様々な情景をモチーフに色と光の表現を描き続けました。

代表的な絵画 >>印象・日の出、睡蓮、睡蓮の池、睡蓮・水の風景、睡蓮・緑のハーモニー、サン=タドレスの海岸、ヴェトゥーユの郊外・花、ウォータールー橋(煙る曇り日)、アルジャントゥーユの橋、アルジャントゥーユの広場の並木道、アルジャントゥーユのヨットレース、セーヌの日没、ロンドンの議事堂、トルゥヴィルの港、ジェヌヴィエールの平野、旧総督府、リンゴの入った籠、エプト川の船遊び、ルーアンの聖堂、パラソルをさす女、バ.ブレオ街道
ムーラン・ド・ギャレット
ムーラン・ド・ギャレット
ピエール=オーギュスト・ルノアール Pierre-Auguste Renoir (1841-1919)
モネとならぶ印象派の代表的画家です。陶器の絵付け職人でしたが、パリに出て印象派に身を投じます。
ルノアールの作品から私たちが感じるのは、暖かい陽光、草いきれのする夏の野、談笑する若者達の体温の感覚です。
ルノアールの風俗的主題を扱った作品は、サロン派画家と印象画画家との間の橋渡しを果たす役割を演じる結果にもなりました。

代表的な絵画 >>ピアノに寄る娘達、ピアノを弾く若い女、ピアノに向かう二人の若い娘、イレーヌ・カーン・ダンヴェルス嬢、花かごを持つ少女、麦わら帽子を被った若い娘、じょうろを持つ少女、白いエプロンの少女、ばら色と青、内緒話、青い帽子の少女、モデルの肖像、読書をする二人の少女、長い髪をした若い娘、野の花の帽子を被った少女、足を拭う水浴の女、海辺の若い娘達、リンゴ、青い花瓶のアネモネ、雨傘、ぶらんこ、ムーラン・ド・ギャレット、アニエールのセーヌ河、舟遊びする人々の昼食、帽子を脱いだ浴女、胸をはだけたガブリエル、にわいばら
ひまわり
ひまわり
フィンセント・ファン・ゴッホ Vincent van Gogh (1853-1890)
世界中で現在も高い人気を誇る作家ゴッホは、オランダに牧師の子として生まれました。
若い頃から画商、語学教師、書店員、牧師、伝道師と様々な職業につきますが、いずれも長続きせず、やがて画家を志すようになります。
その後最大の理解者の弟テオの援助でパリで生活をするようになり、ロートレック、ゴーギャンらと親交を深め、印象派と浮世絵の影響を受けるようになります。
しかしゴーギャンとの不和などが原因で精神の病にかかり、以後、入退院を繰り返し、ピストル自殺。37歳で死亡。生前に売れた作品は1点のみでした。
その情熱的なタッチは観る者に強烈な印象を与えます。

代表的な絵画 >>ひまわり、オーヴェールの教会、アルルのはね橋、オーヴェールの家々、アイリス、オーヴェールの庭、種播く人、サン・レミの病院、オリーブ園、糸杉と星の道、むすめ(MUSUME)、カミーユ・ルーラン、ゴッホの部屋、ダンキー親父の肖像、星振る夜、アルル、家馬車・ジプシーの野営、夜のカフェテラス
蛇使いの女
蛇使いの女
アンリ・ジュリアン・フェリックス・ルソー Henri Julien Félix Rousseau (1844-1910)
ピサロやルダンにその作品を賞賛されますが、多くの批評家や画商にはまったく認められず、多くの苦労を積み重ねます。
しかしどんな不幸に見舞われていても、その苦しみや悲しみを口にすることや、感情をあらわにすることのない穏やかな人柄で、その人柄を表すように彼の絵に苦痛が生々しく表現されることはありませんでした。
若い世代の画家達はルソーを「無意識の天才」「自覚のない前衛画家」と評価し、「この黒は真似できない」とゴーギャンは賞賛。ピカソは4枚のルソーの絵を終生手放すことはなかったそうです。

代表的な絵画 >>ダム、ライオンの食事、紅鶴、蛇使いの女、牧場
タヒチの女
タヒチの女
ポール・ゴーギャン Eugène Henri Paul Gauguin (1848-1903)
後期印象主義を代表する芸術家の一人。 証券会社勤めのサラリーマン生活をやめ、妻子を捨てて画家の道を志します。
印象主義の感覚主義的な現実描写に対して明確な反対を掲げ、1888年にいわゆる総合主義の様式を確立します。
またその年、ゴッホの呼びかけに応じ、南フランスのアルルで共同生活をはじめますが、ゴッホの心の病により、共同生活は破綻します。
その後はタヒチに制作の場を移し、病気と貧困に苦しみながらも多くの作品を生み出します。

代表的な絵画 >>アレアレア、タヒチの女、ファタタ・テ・ミティ(海辺で)、白い馬
ポール・アン・ベサンの港
ポール・アン・ベサンの港
ジョルジュ・スーラ Georges Seurat(1859-1891)
色彩光線主義者と自称したスーラは、絵画の中に光と色彩の科学的体系を導入し、論理的画法による感情表現と調和を目指して、点描主義(分割主義)と呼ばれる技法を追求していきました。
丹念な点描技法のため、作品の数は少ないですが、珠玉の名作を残しています。

代表的な絵画 >>ポール・アン・ベサンの港、サーカス、ポーズする女、オンフルール港の船

20世紀〜

20世紀〜  芸術表現の自由 

芸術は様々な動向を経て現在に至ります。 動向を与える要因は宗教的なものであったり地域的なものであったり、人々の思想や価値観、独裁権をもつ人間の創意だったのかもしれません。
また、芸術は何かを表現するものであって、名作を生み出した画家達は、要因そのものを描いたのかもしれません。
新しい芸術を生み出す画家達は、過去の偉大なる作品をみて賞讃し影響を受けたことでしょう。 その画家達が新しい思想をもち、そしてまた新しい名作を生み出す。芸術は無限です。

この時代になってくると、 主義や派ではなく“芸術のジャンル”という言葉がハマル気がします。 装飾がすばらしいアールヌーヴォーやアールデコ、幻想的な世界を表現した描写や機械的な描写、絵画からイラストやポスターへ発展していくものなど、対象物や完成形にこだわりがなく、芸術の世界は、まさに“表現する自由”そのものになってきたように思います。

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スラヴィア
スラヴィア
アルフォンス・ミュシャ Alfonse Mucha (1860-1939)
20世紀初頭にパリで花開いたヨーロッパの装飾様式アール・ヌーヴォー。
この優美で洗練された装飾様式を独自の世界で確立させたアール・ヌーヴォーの巨匠です。

代表的な絵画 >>スラヴィア
パラソルを持つ娘
日傘の女
アリスティド・マイヨール Aristide Maillol(1861-1944)
マイヨールといえば彫刻家として有名ですが、1882年にパリに出てきた時は、画家を目指してエコール・デ・ボザールに入ります。
タピスリーの制作で目を痛め、彫刻に才能を発揮します。

代表的な絵画 >>日傘の女
水辺の城
水辺の城
グスタフ・クリムト Gustav Klimt (1862-1918)
オーストリアの画家で、世紀末美術といわれた時代の先駆者です。
すばらしい色使いと大胆な構成で、世界の人々を今もなお、惹きつけてやみません。

代表的な絵画 >>水辺の城
思春期
思春期
エドヴァルド・ムンク Edvard Munch (1863-1944)
生涯独身を通したムンクは、しばしば精神が不安定になってアルコールに溺れ、精神科医のもとで療養生活を送ります。
自己の個人的体験に基づく「愛」「死」「不安」を芸術表現に昇華し、「叫び」に代表される作品で世界中にセンセーショナルを巻き起こしました。

代表的な絵画 >>思春期、病める子
ディバン・ジャポネ
ディバン・ジャポネ
アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901)
19世紀末のフランスに生き、パリの街角、故郷の風景、家族や友人、酒場や娼婦など身近な題材を率直に描いた作家です。
油彩にとどまらず、パステル、リトグラフなどの表現技法を多く研究、実践したことも、彼の作品の大きな特徴といえます。
特に1891年「ムーラン・ルージュ」の依頼で初めて制作された石版刷りのポスターは、彼を一躍有名にし、広告メディアのひとつであるポスターを芸術のレベルまで引き上げました。

代表的な絵画 >>サロン・デ・サン、踊るジャンヌ・アヴリル、ディバン・ジャポネ、ムーラン・ルージュのカドリール踊り、ひとり
昼食
昼食
ピエール・ボナール Pierre Bonnard (1867-1947)
セリュジエやドニらと共に、後に「ナビ派」と呼ばれる画家グループを結成。中心的な役割を果たします。
エコール・デ・ボザールで開催された日本美術展を観て感銘を受け、以後の作品に色濃く反映させていきます。

代表的な絵画 >>昼食
セザンヌ礼賛
セザンヌ礼賛
モーリス・ドニ Maurice Denis (1870-1943)
幼少の頃よりカトリックで、晩年には近代以前の美術の役割を復興させるような作品を残しました。

代表的な絵画 >>セザンヌ礼賛、樹下の行列、ぺロス・ギレックのレガッタ、ピアノの前のマルト
マルセイユ港雪景色
マルセイユ港雪景色
アルベール・マルケ Albert Marquet(1875-1947)
エコール・デ・ボザールでギュスターブ・モローの指導を受け、マティス、ルオーらと学びます。後にフォーヴィスム(野獣派)と呼ばれグループに参加。
グレーや薄い青を基調とした落ち着いた色彩と穏やかなタッチで、パリの街や港の風景などを描きました。

代表的な絵画 >>マルセイユ港雪景色
シャトーの家
シャトーの家
モーリス・ド・ヴラマンク Maurice de Vlaminck(1876-1958)
早くからゴッホに強い影響を受け、ドランやマチスらと共に「フォーヴィスム運動」の旗手として活躍します。
後にセザンヌに傾倒。大胆な色使いから、濃い青を主調としたシックな構成に変化します。

代表的な絵画 >>サヴォア海岸の古い農家、シャトーの家、雪の道と家、広場の木立
30歳、バラ色の人生
30歳、バラ色の人生
ラウル・デュフィ Raoul Dufy (1877-1953)
生誕地北フランスのル・アーブルを始め、海と港に魅せられた多くの作品を残します。
軽快な線で「アトリエ」「音楽」というテーマを好み、鮮やかで大胆な色彩などの現代的な作風は、日本を始め世界各国で高い人気を誇ります。

代表的な絵画 >>30歳、バラ色の人生、オンフルールの埠頭、パドック、マルセーユの古い港、ル・アーヴルの水の祭、白い騎手、帆船のある港
快晴
快晴
パウル・クレー Paul Klee (1879-1940)
スイスに生まれ、後にドイツへ渡りミュンヘン美術大学で、カンディンスキーと共に学びます。
抽象的に組み立てられた色面を記号的表現と調和した独自の画法は、幅広い世代の多くのファンに支持されています。

代表的な絵画 >>Phという子供、快晴
ゲルニカ
ゲルニカ
パブロ・ピカソ Pablo Picasso (1881-1973)
20世紀を代表する作家ピカソは、1881年スペインに生まれました。
初期の「青い時代」や「バラ色の時代」というように、ピカソが生みだした芸術の表現方法は、実に様々な方法画あります。
「キュビズム(立体主義)」、新聞紙やぼろ切れ、針金などの材料を貼り付ける「コラージュ」と変化し、1920年頃から、ゆったりとした画風の「新古典主義」、1973年には戦闘的な反戦作品「ゲルニカ」に至ります。

代表的な絵画 >>ゲルニカ、腕を組んで座る軽業師
ミュラー通り
ミュラー通り
モーリス・ユトリロ Maurice Utrillo  (1883-1955)
古きよき時代のパリ、モンマルトルに生まれ、パリを愛したユトリロ。
重厚な絵肌とモノトーンに近い色彩で、パリの街角や、特に古い家壁などを好んで描き、その作品には哀愁にこもった独自の情緒が流れています。

代表的な絵画 >>アトリエ座劇場、ボンヌ・リシューの家、郊外の通り、ラ・フェール風景、ミュラー通り、ルピック通り、パリのサン・ジェルヴェ教会、雪のサクレクールとサン・リュスティック通り、ドュイユの教会、サン.リュスティック通り
坐る少女
坐る少女
アメデオ・モディリアーニ Amadeo Modigliani (1884-1920)
イタリア生まれ。21歳でパリに出てモンマルトルやモンパルナスに住み制作に励みました。
彼の作風は黒人彫刻の影響を強く受けているといわれています。一時期、彫刻家を目指しましたが、病弱で体力に自信がなかったため断念。
貧しく、悩み多き彼の生涯は、近代の芸術家のひとつの典型といえるかもしれません。

代表的な絵画 >>坐る少女、テディ・アンデン、ジプシー女、巻き毛髪の少女、赤ん坊を抱いたジプシーの女
ルーシー・クローグの肖像
ルーシー・クローグの肖像
ジュールズ・パスキン Jules Pascin(1885-1930)
「エコール・ド・パリ」の代表格であるパスキンは、淡い光の中で真珠色の透明な肌をさらす女性の半裸像で、多くのファンを獲得しました。
しかし、晩年は酒と麻薬に溺れ、わずか45歳で自ら死を選びます。 その人生は典型的なボヘミアン、パスキン作品そのものでした。

代表的な絵画 >>サロメ、ルーシー・クローグの肖像
座る女
座る女
エゴン・シーレ Egon Schiele (1890-1912)
表現主義による鋭い人物描画を得意とし、多くの傑作を残しました。
ゲスタフ・クリムトや、画家志望であった若き日のヒトラーと同時代を生き、特にヒトラーとは同じ美術学校を受験するなど(シーレは合格、ヒトラーは不合格)、因縁が深いことで知られます。

代表的な絵画 >>座る女

日本の画家

日本の画家と絵画(日本の美術・芸術)

日本の美術・芸術と囲ってしまうと、埴輪や大仏、寺院仏閣にいたるまで古き広きになってしまいますね。
遠いヨーロッパでは、○○主義や○○派といった運動や流行があり、互いに影響し合いながら長い世紀を動向しました。
日本も同じように、古から中国などの隣国に影響されながら芸術をきわめていきました。 卑弥呼の鏡や古墳に描かれている壁画などをみてとっても、芸術に対する意識はかなり昔からあったようで、建造物や民族的な工芸品、どれをとってみてもすばらしい作品がたくさん伝えられています。

日本には、“絵師”という職人がいました。ようは今の画家さんです。
出版(版画)が盛んになる江戸時代には、浮世絵が流行し「富嶽三十六景」」の葛飾北斎や、「東海道五拾三次」の安東広重ら浮世絵師が大活躍し、ゴッホら印象派の画家達に大きな影響を与えました。
後世の日本画家達も、これらの作品や多くの海外の画家達に影響を受け、その様式や技法を取り入れ日本美術界を高めてきました。

日本に対する海外からの評価は、“手先が器用” “細かい作業に長けている” と良く言われています。 
これらの評価は戦後高度成長期で培った機会部品の制作技術や、日本ならではの習慣や風習などから得たものだけではないと思います。
筆先を器用に使った塗り物や墨絵、染色した織物などによる工芸品など、日本独自の芸術作品から得た評価もあるのではないでしょうか。

かなりページが重くなるので年代とジャンルでページを分けました。
グレーの橋
グレーの橋
浅井 忠 Asai Cyu (あさい ちゅう)  (1856-1907)
1856年江戸木挽町佐倉藩邸生まれ。1876年に工部美術学校でバルビゾン派をよく知るフォンタネージ教授に学びます。1889年、明治美術会を小山正 太郎、高橋由一らと結成。第1回展に「春畝」「山駅」などを出品。1902年、ヨーロッパ諸国を回り、京都高等工芸学校教授に。
1906年関西美術院開院。院長になるも1年後に死去。

代表的な絵画 >>グレーの橋
海の幸
海の幸
青木 繁 Aoki Shigeru (あおき しげる) (1882-1911)
久留米市荘島町に生まれ、大いなる志を持って芸術の世界に生き、重要文化財「海の幸」「わだつみのいろこの宮」などの鮮烈な作品を残して、28歳の若さで死去しました。
わずか28年という短い生涯のなかで手がけられた作品は、決して多いとは言えませんが、明治浪漫主義を代表する数々の優品が残されています。

代表的な絵画 >>海の幸、天平時代
黄八丈
黄八丈
竹久 夢二 Takehisa Yumeji (たけひさ ゆめじ) (1884-1934)
幼い頃より絵に魅かれた夢二は、神戸中学に進み、イキゾチズムの洗礼を受けます。23歳の時、早稲田鶴巻町で絵ハガキ店を開いていた未亡人「岸たまき」と出逢い、彼女をモデルとして、いわゆる「夢二式」美女を描き、一躍人気画家となります。
「宵待草」の作者としても有名です。

代表的な絵画 >>黄八丈、女十題の内 朝の光へ
麗子座像
麗子座像
岸田劉生 Kishida Ryusei (きしだ りゅうせい)  (1891-1929)
裕福な家庭の四男として東京銀座に生まれ、黒田清輝が指導する「白馬会葵橋洋画研究所」で油絵を学びます。
武者小路実篤、志賀直哉などの「白樺」に接し、白樺派同人と交流する一方、新詩社の流れをくむ「パンの会」や、石井柏亭など同人雑誌「方寸」の連中を中心とし、高村光太郎、北原白秋らと交流を深めました。

代表的な絵画 >>麗子座像
遠い街
遠い街
東郷 青児(とうごう せいじ)  (1897-1978)
鹿児島県出身。青山学院中学を卒業後、有島生馬に油絵を学びます。
ヨーロッパに留学して、ピカソ、マリネッティ、ラファエロの作風に触れ、イタリア未来派の影響をかんじさせる、モダニズム的な画風を完成させました。
「大衆に理解される芸術」という信条を持って、戦後の二科会を再建し、以後、長きに渡り国内画壇の指導的役割を果たしました。

代表的な絵画 >>遠い街、蝶、リオ・デ・ジャネイロ
広告貼り
広告貼り
佐伯 祐三 Saeki Yuzou(さえき ゆうぞう) (1898-1928)
1898年大阪生まれ。東京美術学校西洋画科を卒業後、1924年、憧れのパリに渡ります。
里見勝蔵の仲立ちで、巨匠ヴラマンクを訪問しますが、佐伯の作品は「アカデミスム!」と酷評されます。この一件が彼の最大の転機となります。
1926年、一時帰国しますが「あかん、ぼくは日本では描けん」と1927年、再渡仏。パリや郊外のモランでの制作に没頭しますが、病に倒れ、1928年8月に死去。
わずか30年の短すぎる生涯でしたが、強烈な筆触や制作時間の密度がかもしだす緊張感など、その芸術は今もなお人々を魅了します。

代表的な絵画 >>ガラージュ、広告貼り、ラ・クロッシュ、街
行く秋
行く秋
東山 魁夷 Higashiyama Kaii(1908-1999)
明治41年横浜生まれ。杉山寧、高山辰雄とともに、日展三山と呼ばれる日本画家の一人。
第12回日本芸術院賞を受賞し、東宮御所(現赤坂御所)に、壁画「日月四季図」、皇居新宮殿の大壁画「朝明けの潮」、唐招提寺御影堂の壁画など多くの作品を制作。
自然の風景を描き続け、「生きるということは何だろうか」と、人間の根源的な存在を問いかけてくる作品を残しています。

代表的な絵画 >>花明かり、樹、緑響く、白馬の森、行く秋、冬華、北山初雪、木枯らし舞う、白い朝、夏に入る
百花
百花
藤井 令太郎 Fujii Reitaro (ふじい れいたろう) (1913-1980)
大正2年長野県の造り酒屋に生まれ、昭和12年帝国美術学校洋画科(現武蔵野美術大学)を卒業しました。昭和27年東京文化学園の美術の先生になり、29年には春陽会会員となります。30年武蔵野美術学校教授、37年には第4回日本国際美術展で新人賞を受賞します。
ゴッホに傾倒し、椅子の絵を多く描きました。

代表的な絵画 >>百花、スペイン風景
ヴァイオリンを持つ少女
ヴァイオリンを持つ少女
奥 龍之介 Oku Ryuunosuke (おく りゅうのすけ) (1923-1986)
東京荻窪に生まれ、東京美術学校(現東京芸大)で学びました。第9回日展に初入選。光陽会会員となって光陽会受賞。伊勢丹賞、安井賞展など数多くのコンクールで受賞します。
音楽を愛し、特にバイオリンを得意とした長女をモデルにした作品を多く描きました。

代表的な絵画 >>ヴァイオリンを持つ少女
慈照寺銀閣
慈照寺銀閣
平山 郁夫 Ikuo Hirayama(1930-)
広島県豊田郡生まれ、中学生の時に原爆に被爆し、後の彼の画家活動に大きな影響を与えることになります。被爆による後遺症に悩まされながらも東京美術学校日本画家を卒業。卒業後は同校の助手となり仏教を題材とする作品を数々製作しました。仏教に向ける目は、やがてインドや中国、シルクロードの遺跡といった古までさかのぼり、このシルクロードを題材とした一連の作品では、日本芸術大賞を受賞しています。 彼は、芸術をとおし、紛争地域の文化財保護活動や救済活動に尽力し、その功績を讃える数々の賞を受賞しており、芸術のみならず数々の平和活動の功績を残しています。

代表的な絵画 >>慈照寺銀閣
黄輝明星櫻
黄輝明星櫻
中島 千波 Nakajima Chinami(1945-)
日本画家の中島清之の三男として長野県に生まれる。東京芸術大学日本画家を卒業後、数々の展覧会に作品を出品し入選を果たす。NHK「きょうの料理」テキストの表紙絵や新聞の挿絵などを担いその実力を認められる。 鶴岡八幡宮など、文化的価値ある神社仏閣の壁画や天井画を数多く手掛け、現在は、東京芸術大学美術学部デザイン科の教授を勤めています。

代表的な絵画 >>黄輝明星櫻

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