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日本の画家

日本の画家と絵画(日本の美術・芸術)

日本の美術・芸術と囲ってしまうと、埴輪や大仏、寺院仏閣にいたるまで古き広きになってしまいますね。
遠いヨーロッパでは、○○主義や○○派といった運動や流行があり、互いに影響し合いながら長い世紀を動向しました。
日本も同じように、古から中国などの隣国に影響されながら芸術をきわめていきました。 卑弥呼の鏡や古墳に描かれている壁画などをみてとっても、芸術に対する意識はかなり昔からあったようで、建造物や民族的な工芸品、どれをとってみてもすばらしい作品がたくさん伝えられています。

日本には、“絵師”という職人がいました。ようは今の画家さんです。
出版(版画)が盛んになる江戸時代には、浮世絵が流行し「富嶽三十六景」」の葛飾北斎や、「東海道五拾三次」の安東広重ら浮世絵師が大活躍し、ゴッホら印象派の画家達に大きな影響を与えました。
後世の日本画家達も、これらの作品や多くの海外の画家達に影響を受け、その様式や技法を取り入れ日本美術界を高めてきました。

日本に対する海外からの評価は、“手先が器用” “細かい作業に長けている” と良く言われています。 
これらの評価は戦後高度成長期で培った機会部品の制作技術や、日本ならではの習慣や風習などから得たものだけではないと思います。
筆先を器用に使った塗り物や墨絵、染色した織物などによる工芸品など、日本独自の芸術作品から得た評価もあるのではないでしょうか。

かなりページが重くなるので年代とジャンルでページを分けました。
グレーの橋
グレーの橋
浅井 忠 Asai Cyu (あさい ちゅう)  (1856-1907)
1856年江戸木挽町佐倉藩邸生まれ。1876年に工部美術学校でバルビゾン派をよく知るフォンタネージ教授に学びます。1889年、明治美術会を小山正 太郎、高橋由一らと結成。第1回展に「春畝」「山駅」などを出品。1902年、ヨーロッパ諸国を回り、京都高等工芸学校教授に。
1906年関西美術院開院。院長になるも1年後に死去。

代表的な絵画 >>グレーの橋
海の幸
海の幸
青木 繁 Aoki Shigeru (あおき しげる) (1882-1911)
久留米市荘島町に生まれ、大いなる志を持って芸術の世界に生き、重要文化財「海の幸」「わだつみのいろこの宮」などの鮮烈な作品を残して、28歳の若さで死去しました。
わずか28年という短い生涯のなかで手がけられた作品は、決して多いとは言えませんが、明治浪漫主義を代表する数々の優品が残されています。

代表的な絵画 >>海の幸、天平時代
黄八丈
黄八丈
竹久 夢二 Takehisa Yumeji (たけひさ ゆめじ) (1884-1934)
幼い頃より絵に魅かれた夢二は、神戸中学に進み、イキゾチズムの洗礼を受けます。23歳の時、早稲田鶴巻町で絵ハガキ店を開いていた未亡人「岸たまき」と出逢い、彼女をモデルとして、いわゆる「夢二式」美女を描き、一躍人気画家となります。
「宵待草」の作者としても有名です。

代表的な絵画 >>黄八丈、女十題の内 朝の光へ
麗子座像
麗子座像
岸田劉生 Kishida Ryusei (きしだ りゅうせい)  (1891-1929)
裕福な家庭の四男として東京銀座に生まれ、黒田清輝が指導する「白馬会葵橋洋画研究所」で油絵を学びます。
武者小路実篤、志賀直哉などの「白樺」に接し、白樺派同人と交流する一方、新詩社の流れをくむ「パンの会」や、石井柏亭など同人雑誌「方寸」の連中を中心とし、高村光太郎、北原白秋らと交流を深めました。

代表的な絵画 >>麗子座像
遠い街
遠い街
東郷 青児(とうごう せいじ)  (1897-1978)
鹿児島県出身。青山学院中学を卒業後、有島生馬に油絵を学びます。
ヨーロッパに留学して、ピカソ、マリネッティ、ラファエロの作風に触れ、イタリア未来派の影響をかんじさせる、モダニズム的な画風を完成させました。
「大衆に理解される芸術」という信条を持って、戦後の二科会を再建し、以後、長きに渡り国内画壇の指導的役割を果たしました。

代表的な絵画 >>遠い街、蝶、リオ・デ・ジャネイロ
広告貼り
広告貼り
佐伯 祐三 Saeki Yuzou(さえき ゆうぞう) (1898-1928)
1898年大阪生まれ。東京美術学校西洋画科を卒業後、1924年、憧れのパリに渡ります。
里見勝蔵の仲立ちで、巨匠ヴラマンクを訪問しますが、佐伯の作品は「アカデミスム!」と酷評されます。この一件が彼の最大の転機となります。
1926年、一時帰国しますが「あかん、ぼくは日本では描けん」と1927年、再渡仏。パリや郊外のモランでの制作に没頭しますが、病に倒れ、1928年8月に死去。
わずか30年の短すぎる生涯でしたが、強烈な筆触や制作時間の密度がかもしだす緊張感など、その芸術は今もなお人々を魅了します。

代表的な絵画 >>ガラージュ、広告貼り、ラ・クロッシュ、街
行く秋
行く秋
東山 魁夷 Higashiyama Kaii(1908-1999)
明治41年横浜生まれ。杉山寧、高山辰雄とともに、日展三山と呼ばれる日本画家の一人。
第12回日本芸術院賞を受賞し、東宮御所(現赤坂御所)に、壁画「日月四季図」、皇居新宮殿の大壁画「朝明けの潮」、唐招提寺御影堂の壁画など多くの作品を制作。
自然の風景を描き続け、「生きるということは何だろうか」と、人間の根源的な存在を問いかけてくる作品を残しています。

代表的な絵画 >>花明かり、樹、緑響く、白馬の森、行く秋、冬華、北山初雪、木枯らし舞う、白い朝、夏に入る
百花
百花
藤井 令太郎 Fujii Reitaro (ふじい れいたろう) (1913-1980)
大正2年長野県の造り酒屋に生まれ、昭和12年帝国美術学校洋画科(現武蔵野美術大学)を卒業しました。昭和27年東京文化学園の美術の先生になり、29年には春陽会会員となります。30年武蔵野美術学校教授、37年には第4回日本国際美術展で新人賞を受賞します。
ゴッホに傾倒し、椅子の絵を多く描きました。

代表的な絵画 >>百花、スペイン風景
ヴァイオリンを持つ少女
ヴァイオリンを持つ少女
奥 龍之介 Oku Ryuunosuke (おく りゅうのすけ) (1923-1986)
東京荻窪に生まれ、東京美術学校(現東京芸大)で学びました。第9回日展に初入選。光陽会会員となって光陽会受賞。伊勢丹賞、安井賞展など数多くのコンクールで受賞します。
音楽を愛し、特にバイオリンを得意とした長女をモデルにした作品を多く描きました。

代表的な絵画 >>ヴァイオリンを持つ少女
慈照寺銀閣
慈照寺銀閣
平山 郁夫 Ikuo Hirayama(1930-)
広島県豊田郡生まれ、中学生の時に原爆に被爆し、後の彼の画家活動に大きな影響を与えることになります。被爆による後遺症に悩まされながらも東京美術学校日本画家を卒業。卒業後は同校の助手となり仏教を題材とする作品を数々製作しました。仏教に向ける目は、やがてインドや中国、シルクロードの遺跡といった古までさかのぼり、このシルクロードを題材とした一連の作品では、日本芸術大賞を受賞しています。 彼は、芸術をとおし、紛争地域の文化財保護活動や救済活動に尽力し、その功績を讃える数々の賞を受賞しており、芸術のみならず数々の平和活動の功績を残しています。

代表的な絵画 >>慈照寺銀閣
黄輝明星櫻
黄輝明星櫻
中島 千波 Nakajima Chinami(1945-)
日本画家の中島清之の三男として長野県に生まれる。東京芸術大学日本画家を卒業後、数々の展覧会に作品を出品し入選を果たす。NHK「きょうの料理」テキストの表紙絵や新聞の挿絵などを担いその実力を認められる。 鶴岡八幡宮など、文化的価値ある神社仏閣の壁画や天井画を数多く手掛け、現在は、東京芸術大学美術学部デザイン科の教授を勤めています。

代表的な絵画 >>黄輝明星櫻

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